http://wired.jp/2012/10/05/mapocalypse-big-data-battle/
これは「ビッグデータの戦場」なのだと言いきっている。世の中がビッグデータがどうのと騒ぎ出したのはここ数年、それまではデータウェアハウスなどという言葉もあったけれど、要はみんなが日々システム
で発生する莫大な量のデータをどう使うかということについて意識を向けてきたということが根底にある。
今のところネットワークを通じたコミュニケーションが生み出すデータは日々増加の一途を辿っている。
データを生み出している側の我々はほぼ無意識だが、それは間違いなくどこかで何重にも冗長化されたシステムで管理されている。
しかもそれらは個人のプロフィールから経歴や趣味嗜好、政治的考え方なんかも分かってしまう、使い方によっては恐ろしい情報の宝庫になりうる。
そのことに皆が注目している、その中にAmazonがいたり、Googleがいたり、あるいはFacebookがいたりする。
しかし、データは未来永劫今のペースで増え続けるというものでもないだろうし、収束の気配が見えてくる前には情報の活用方法が確立されていくと思われる。
今はその流れに向かう途上にあるといってよい。
もともとPCのメーカーだったAppleとインターネットの検索エンジンからスターとしたGoogle。
つい3、4年くらい前まではこの2つの企業にはまったく接点は見出せなかったはずだ。
PCや携帯端末がネットワークで繋がり、世の中の接点がクラウド上に向かう流れにあってこの2企業は対峙すべく対峙することになった。
そしてより人間に近づくためのニューラルネットワークなどの世界へと先端の技術の指向が向き始めている今、この2企業が引きずっている、片やPCメーカー、片や検索エンジンというバックグランドの差が明暗を分けつつある。
音声認識や地図のサービスなどはGoogleが本来の事業の次の展開として手を伸ばしてきたもので、いわば自分の家の庭なのだが、Appleにとってはネタにされているsiriにしろ地図にしろ他所から借りてきたものであり、そもそもそこには元からのコンセプトは希薄だったものが合体している。Appleにとっては、それは結局は他人の家の軒先に過ぎない。
また、サービスでも端末でもそれらを支えるプラットフォームでもAppleを搦め捕る包囲網がGoogleやその他の競合他社によって築かれている。
ジョブズならば次々一歩先の手を打ってGoogleをアッと言わせる新しいサービスを立ち上げていったかもしれないが、さすがに今のAppleにはそれがない。
ゆえにAppleに先詰まり感があるわけだ。
もちろん個人的にはAppleにはこれからもさらなるイノベーションを期待している。
今はどうも旗色が悪そうなAppleの勝機はどこにあるだろう。
やはり気になるのは家電。
すでにAppleTVなどもあったが、従来家電の領域に踏み込もうとしていたサービスに今後Appleが真剣に取り組んでいく気があるのか、そこのところは重要なポイントではないかと思う。
以前、Appleの製品で作られた家(1軒数億円だったか)というのが紹介されていたけれども、人の住む家という環境も今やIT製品なしでは立ち行かない時代である。
家そのものあるいは家電の世界を自社の製品とコンセプトでがっちりとシステム化して囲い込むなんてことがあると、これはネットの向こうでインフラを根城にしているGoogleなどの企業とは違う形での大きなシェアを確立できる可能性があると思う。
早くからコンピュータからの脱却を進めていたと思われるジョブズの遺した指針にその路線はしっかりあるのではないだろうか。
それと、インターフェースデザインについて。
スマートフォンやタブレットのインターフェースデザインに関するサムスンとの訴訟騒ぎは折にふれニュースになっているが、製品のコンセプト自体を作り上げたAppleのデザインは多くの他社製品に影響を与えているのは事実だし、それを真似した真似されたとやり合うのも結局勝敗のつかないゲームに感じられる。
なによりApple製品のインターフェースの直観性は非常に優れた面があると思う。
これを各種デバイスに取り入れることは広い視野でみれば非常に意義のあることで、ライセンシングのような形で実現できるのではないかと思う。
身近なところでは、そうしてできたiPadのインターフェースのカーナビや駅の券売機があってもいいじゃないかと思ったりするのだけれど、そういうビジネスには同社は見向きもしないかもしれない。
でも、流れの速い業界のこと。今年のうちには勝負の行方はだいぶ決まってしまうかもしれない。
どうにも目まぐるしい。