http://wired.jp/2013/01/31/feecha/
よく路上で地図を広げて覗き込んでいる外国人の旅行者を見かける。
私も経験があるけれど、土地勘のない場所で何かを探すのは本当に大変だ。
まだ携帯やスマートフォンもなく、PCもまだ高い贅沢品だった時代のことだが、 マドリッドの地下鉄の駅でやはり”地図を覗き込んでいる外国人” だった私に近寄り声をかけてくれた親切な老人がいて、どうやら力になろうといろいろ考えて質問してくれた。
その気持ちは物凄く嬉しかったけれど、残念ながらスペイン語を解さない私(今 もそうだが)はその老人の心遣いを受け取ることはできなかった。
さてそれから二十数年、未来人の我々は今どうしているか。
結局のところ、当時は予想もできなかったような高性能の機械をポケットに忍ばせているけれど、知らない土地でそれが十分に活かせているだろうかと 考えてしまう。
位置情報アプリの群雄割拠時代とあるけれど、私は正直実感できていない。
総じてハードウェアの進歩に比較して、ソフトウェア的な視点ではまだまだ利便性は十分に獲得できていないと思う所以だ。
土地勘のない人が迷っていたら、助けてあげたいと思うのは誰しも同じだ。しかも自分の住む町ならなおのこと。
飲食店やホテル、観光名所などは人に利用されることで取引が始まるわけだが、 見つけることもできなければそれは機会損失にしかならない。
その場所にどんなものがあって、そこに自分が求めるものがあるか、それを助ける情報源としてのシステムには大きなチャンスがあるということ。
私もどういうものが必要か考えていた。
単純に新聞といっしょにポスティングされている地元の広告の集合体のような情報でもいいのか。。。そこから考え始めた。
feecha!はゲーム感覚で宝探しをしながら町を歩くということにフォーカスして いるけれど、私は歴史好きなので、歴史的な興味の方向に注目し た。
これはあるTV番組で現在のエルサレムにおいて2000年前ナザレのイエスが十字架を担いで歩いた道を探して歩くというドキュメンタリーをたまたま観て思いつ いたことだ。
エルサレムの町は長い歴史の中で街並みは変わり、ローマ統治時代の街路などについては不明なところも結構ある。
それを記録を手掛かりにできるかぎりイエスの足跡をたどろうという極めて歴史好きには興味深い内容だった。
私はたまたまやはり千年以上の歴史を持つ京都という町に住んでいるが、たとえば町の名前、通りの名前ひとつにしても由来を紐解けば意外な歴史がある。
それは私たちには新たな知識の獲得であるはずだし、こうした知的興味から人の興味の対象になり経済的効果につながることもあるのではないか、そんな風に思っている。
そういう蓄積された情報がビジュアルにも美しく、ゲーム感覚で楽しめれば面白いものになるかもしれないというのはまだ持ちつづけているアイデアではある。
何ごとも早く走り始めることが重要な世界にあって、考え込んでいるだけなのは得策ではないかもしれない。
しかし、問題はビジネスモデルをどう成立させるかである。ここは無策に走るべきではない。
資金力のない私たちはある程度先の展開をみつつ細々と始めなくてはまず成り立 たない。
クリス・アンダーソンの「FREE」などにある今や当たり前の「無料」のビジネスモデルがまず頭に浮かぶ。
そしてその先何かのオプションでシステムを課金するのか、広告収入をあてにするのか、あるいは別にビジネスを展開するのか、こうしたことは我々エンジニアにはなかなかの重いテーマであり、夢語りに近い感覚がある。
このfeecha!にしてもビジネスモデルとしてはどうなのか、先々の展開はどうなのか?など疑問はあるし、これに近いシステムのアイデアを持っている身とし ては、よいアイデアのある人にじっくり指南を頂きたいところではある。