諸言語の源「祖語」をコンピューターで復元
http://wired.jp/2013/02/13/protolanguage-generator/ @wired_jpさんから
現在使われている言語がどれくらいあるのだろう。
実は誰にもわからないらしい。
言語というのは神経みたいなもので、正確に数えることができないのは私のよう な素人にもわかる。
たとえば同じ日本語の中でも方言が無数にあるわけだが、関東弁、関西弁、九州 弁などの大きなくくりにしても複数に数えることができる。
これを全国に数多ある方言を亜種という形でカウントしたりすると同じ日本語系亜種はかなりの数にのぼってしまうだろう。
また、この同じ日本語でも我々は数百年前に書かれた文章を読むのにたいがい苦労する。
誤謬や文法が時とともに変化するからである。
現に若い世代が話す言葉は常に新しい用法に溢れており、少し前によく使われた言葉も「死語」などといわれたりする。
過去に使われていたけれど、もはや誰も話す人がいなくなった言語などもある。
たとえば古代ローマ人が日常会話で使っていたラテン語は話し言葉としては使われておらず、古文書などを読むための学術用途として機能している。
(ラテン語の名残りはヨーロッパ系のさまざまな言語に色濃く残ってはいる が...)
我々は聖書を読むことはできるけれど、ナザレのイエスが実際に話した言葉は正確にはわからない。
彼はヘブライ語ではなく当時のイスラエルの地域で使われていたアラム語を話していたが、この言語を使う人は地上にいない。
我々が知っているイエスの言行のほとんどはギリシア語に訳された聖書を通じて各国語にさらに翻訳された記録によるものである。
こうして言語は広がりを持ち、かつ移り変わるものであり、そのライフサイクルの終端では使命を終えて消滅していくものでもある。
その困難な言語というものを分析して言語が分かれる前の「祖語」を辿ろうという試みは、私には非常にエキサイティングに感じられる。
今はDNAの鑑定によって過去の民族の流動の経緯が判明しつつあるが、言葉の変遷が明らかになると、これを裏付けるものになり得るはずだからだ。
ただ、前述のように既にだれも使わなくなって現代人には読み書きできない過去の言語もあることを考えると、これも完全な形で解明するのは難しいは ず。
しかしこれはぜひ形になった結果を見てみたいと思うのだ。
結果。。。 これが完成すると、どうなるのか。
単語ごとに語源は様々に広がっていくはずなので、単語の枝がいくつかの幹をかすったりあるいはある最終的な語源である幹に収斂している、というような複雑なネットワーク図が思い浮かぶ。
ある言葉の語源が容易に把握できて、その言葉は関連するどこの言語でどのように使われているかが瞬時に分かる、そういうネットワークができるのではないか。
これは文化を守る尊い試みに違いない。
でも一部では「我々があの忌々しいxxx人と同じ語源の言葉をしゃべっているなんて許せない」というような感情にとらわれるような人たちもいるかもしれない。
このような考え方はなんとも寂しい。
遠い過去に同じ祖先から分かれてきた我々人類が同じ家に住む家族のような関係になれたら、これは素晴らしいことだ。
祖語の探求が、そうした意識を育む礎になるといいなと思う。
http://wired.jp/2013/02/13/protolanguage-generator/ @wired_jpさんから
現在使われている言語がどれくらいあるのだろう。
実は誰にもわからないらしい。
言語というのは神経みたいなもので、正確に数えることができないのは私のよう な素人にもわかる。
たとえば同じ日本語の中でも方言が無数にあるわけだが、関東弁、関西弁、九州 弁などの大きなくくりにしても複数に数えることができる。
これを全国に数多ある方言を亜種という形でカウントしたりすると同じ日本語系亜種はかなりの数にのぼってしまうだろう。
また、この同じ日本語でも我々は数百年前に書かれた文章を読むのにたいがい苦労する。
誤謬や文法が時とともに変化するからである。
現に若い世代が話す言葉は常に新しい用法に溢れており、少し前によく使われた言葉も「死語」などといわれたりする。
過去に使われていたけれど、もはや誰も話す人がいなくなった言語などもある。
たとえば古代ローマ人が日常会話で使っていたラテン語は話し言葉としては使われておらず、古文書などを読むための学術用途として機能している。
(ラテン語の名残りはヨーロッパ系のさまざまな言語に色濃く残ってはいる が...)
我々は聖書を読むことはできるけれど、ナザレのイエスが実際に話した言葉は正確にはわからない。
彼はヘブライ語ではなく当時のイスラエルの地域で使われていたアラム語を話していたが、この言語を使う人は地上にいない。
我々が知っているイエスの言行のほとんどはギリシア語に訳された聖書を通じて各国語にさらに翻訳された記録によるものである。
こうして言語は広がりを持ち、かつ移り変わるものであり、そのライフサイクルの終端では使命を終えて消滅していくものでもある。
その困難な言語というものを分析して言語が分かれる前の「祖語」を辿ろうという試みは、私には非常にエキサイティングに感じられる。
今はDNAの鑑定によって過去の民族の流動の経緯が判明しつつあるが、言葉の変遷が明らかになると、これを裏付けるものになり得るはずだからだ。
ただ、前述のように既にだれも使わなくなって現代人には読み書きできない過去の言語もあることを考えると、これも完全な形で解明するのは難しいは ず。
しかしこれはぜひ形になった結果を見てみたいと思うのだ。
結果。。。 これが完成すると、どうなるのか。
単語ごとに語源は様々に広がっていくはずなので、単語の枝がいくつかの幹をかすったりあるいはある最終的な語源である幹に収斂している、というような複雑なネットワーク図が思い浮かぶ。
ある言葉の語源が容易に把握できて、その言葉は関連するどこの言語でどのように使われているかが瞬時に分かる、そういうネットワークができるのではないか。
これは文化を守る尊い試みに違いない。
でも一部では「我々があの忌々しいxxx人と同じ語源の言葉をしゃべっているなんて許せない」というような感情にとらわれるような人たちもいるかもしれない。
このような考え方はなんとも寂しい。
遠い過去に同じ祖先から分かれてきた我々人類が同じ家に住む家族のような関係になれたら、これは素晴らしいことだ。
祖語の探求が、そうした意識を育む礎になるといいなと思う。