電子書籍は本当に紙の本よりエコか?
この記事で述べられているように、実際は環境にはむしろよくないかもしれないという話だが、これは発電と二酸化炭素の相関についての話とほぼ同じで、多 くの核廃棄物を排出する原子力発電、二酸化炭素を多く排出する火力発電に比べ太陽光発電が環境にやさしいかといえば、短絡的にそうはならな いのだ。
これはソーラーパネルを製造するときに多くの二酸化炭素を排出してしまうため、ソーラーパネルでどれだけ発電しても元がとれないという事実に依る。
ハイブリッドカーについても同様で、製造時に普通の車の2倍の二酸化炭素を排出するわけだから、これは決して環境にやさしくなんかないという話だ。
電子書籍リーダーを製造するときにかかるコストは紙で製本する昔ながらの出版に比べてなんら環境によい影響を与えないとしても、これもいずれどちらかの媒体に大きく傾くわけで、両方がずっと出版物をシェアしていくことはあり得ない。
今の流れでは新しく出版されるものは電子書籍がメインになっていくだろうから、紙の書籍はだんだんとマイナーな存在になっていく。
紙を使わなくなれば、樹木は伐採を免れるか。
誰もそうは思わないだろう。
残った樹木は他の理由でやはり伐採されることになるはずだ。
もし逆の展開となって、電子書籍リーダーがもろくも消え去ったとしても、こうした機器が相変わらず他の用途に作られるであろうことは間違いない。
そして依然二酸化炭素の排出量が減ることもなく、地球はますます生活しにくい星のままであるはずだ。
つまりこの先紙か電子書籍かという議論は長期的にみて何ら意味をなさず、これらの物は時代の流れとともに変わりゆくものなのだ。
もはや紙の書籍がよいと思うのはSLを懐かしく思う懐古趣味と同じかもしれない。
しかし、誤解しないでほしい。
私は電子書籍を礼賛する立場ではない。
紙の書籍を愛するものであり、無数の本がひしめく書店や図書館に、その紙とインクの匂いに、こびりついた人の手垢に心地よさを感じる個人である。
(秀逸な電子書籍リーダーには、そのうち匂いや手垢がついたりするものも出てくるかもしれない。。。そうなったらもう降参である。)
かつてレコードはSP盤の時代には蓄音機の上で回るものであり、みんなで聞いて愉しむ物であったが、そのレコードがビニール盤に変わり、CDに変 わり、さらにポータブルオーディオプレーヤーの時代になるとこれは完全に個人のものに なった。
書籍もまた同じである。
書籍がすべてデータ化される日など来てほしくはないが、残念ながら多くの書籍はデータとなり本としての存在は消えてしまう運命にある。
私はやりきれない寂しさとともに電子書籍化の時代を迎えている。
時代の過渡期というのは、こうした複雑な感情のうずまく時であるようだ。
http://wired.jp/2013/02/02/ebook-eco/
電子書籍の普及がいよいよ本格的になってきた昨今、紙の本より電子書籍の方が何かと便利と喧伝されがちなのは事実だ。この記事で述べられているように、実際は環境にはむしろよくないかもしれないという話だが、これは発電と二酸化炭素の相関についての話とほぼ同じで、多 くの核廃棄物を排出する原子力発電、二酸化炭素を多く排出する火力発電に比べ太陽光発電が環境にやさしいかといえば、短絡的にそうはならな いのだ。
これはソーラーパネルを製造するときに多くの二酸化炭素を排出してしまうため、ソーラーパネルでどれだけ発電しても元がとれないという事実に依る。
ハイブリッドカーについても同様で、製造時に普通の車の2倍の二酸化炭素を排出するわけだから、これは決して環境にやさしくなんかないという話だ。
電子書籍リーダーを製造するときにかかるコストは紙で製本する昔ながらの出版に比べてなんら環境によい影響を与えないとしても、これもいずれどちらかの媒体に大きく傾くわけで、両方がずっと出版物をシェアしていくことはあり得ない。
今の流れでは新しく出版されるものは電子書籍がメインになっていくだろうから、紙の書籍はだんだんとマイナーな存在になっていく。
紙を使わなくなれば、樹木は伐採を免れるか。
誰もそうは思わないだろう。
残った樹木は他の理由でやはり伐採されることになるはずだ。
もし逆の展開となって、電子書籍リーダーがもろくも消え去ったとしても、こうした機器が相変わらず他の用途に作られるであろうことは間違いない。
そして依然二酸化炭素の排出量が減ることもなく、地球はますます生活しにくい星のままであるはずだ。
つまりこの先紙か電子書籍かという議論は長期的にみて何ら意味をなさず、これらの物は時代の流れとともに変わりゆくものなのだ。
もはや紙の書籍がよいと思うのはSLを懐かしく思う懐古趣味と同じかもしれない。
しかし、誤解しないでほしい。
私は電子書籍を礼賛する立場ではない。
紙の書籍を愛するものであり、無数の本がひしめく書店や図書館に、その紙とインクの匂いに、こびりついた人の手垢に心地よさを感じる個人である。
(秀逸な電子書籍リーダーには、そのうち匂いや手垢がついたりするものも出てくるかもしれない。。。そうなったらもう降参である。)
かつてレコードはSP盤の時代には蓄音機の上で回るものであり、みんなで聞いて愉しむ物であったが、そのレコードがビニール盤に変わり、CDに変 わり、さらにポータブルオーディオプレーヤーの時代になるとこれは完全に個人のものに なった。
書籍もまた同じである。
書籍がすべてデータ化される日など来てほしくはないが、残念ながら多くの書籍はデータとなり本としての存在は消えてしまう運命にある。
私はやりきれない寂しさとともに電子書籍化の時代を迎えている。
時代の過渡期というのは、こうした複雑な感情のうずまく時であるようだ。