いかにフェイスブックが公衆衛生を変革するか
本当に物凄い普及のスピードである。
それもそのはず、2004年にスタートしつい2年前に全世界でユーザ6億人突破、 去年の秋には10億人を突破したというザッカーバーグCEOのア ナウンスがあった。
つまりこれだけの規模であるのにも関わらずさらに加速的に増加しているわけだ。
これは驚異的なことだ。
これだけのユーザを抱えるシステムはどんな構成なんだろうかと職業柄考えてし まうけれども、規模が大きくなることにより我々業界人の興味とは違っ た面、 その社会的側面が注目されてきている。
医療の世界というのは永らく医師の裁量が大きく、我々医療サービスの”ユー ザー”は経済的、地理的事情によって均一な医療サービスを受けられる状 況にな いというのが事実だ。
この記事で取り上げられるような、FaceBookを介しての医療活動へのアクション の方が有効であるとなれば、確かに重要な動きになりうると思 う。
医療機関にとってこうしたサービスが伸び目になるのか命取りになるのかは門外 漢の私には判断できないけれど、今時直接病院まで行かないと医師に相 談一つ できないというのも数百年も前から同じで、あまりに古いという気もする。
この状況を改善するのはやはり情報技術なのだろう。
ここでまたもや可能性の話で恐縮だが。。。
一つの重要なポイントとしてカルテの共有化ということがいずれ検討されてもい いインフラは整っていると考えている。
広い世界のこと、実際にこうしたことが行われているところが既にあるかもしれ ない。
現在は医療機関ごとにカルテが管理されているし、医療行為の内容にしても通常 なら院外に出て行く情報ではない。
何か医療事故などが起きて、法的な資料として扱われることなどなければカルテ が外部に晒されることなどないのではないかと我々は認識している。
実際はどうか?
実は医師法により5年間(だったかな?)の保存を義務付けているだけで、その 情報の開示自体は個人情報保護の観点から持ち出し等に病院独自の対応 をして いるというのが現実。
突き詰めれば患者本人の意思としてカルテの情報を一般に開示したいと思えば、 個人のリスク以外法的には制限はないわけだ。
自分の意思で公開して、必要とあれば広くネットを介して医療の専門家に相談で きるとすれば、これこそが医療サービスの均質化につながる布石になる のでは ないか。
しかし正直いいことばかりでもない。
病歴とか第三者が自在に見れるとなると、勝手に製薬会社などからDMが殺到した りするという可能性もある。
職場で、その病気は職務を遂行するのに問題がないかなどと一方的に評価に使用 される可能性もある。
また、根源的道義的な問題などが絡んでくることももちろん慎重に考えなければ ならない。
もし、あなた自身があるいは身近な人が知らぬ間に死の病に冒されているとし て、その事実を衆目に晒し、また受け入れることができるかということ だ。
こうしたことが技術的には可能になっていることを考えれば、どこまで個人の情 報は世間に晒すことができるのか?
ジェフ・ジャービス著 「PUBLIC」には著者自身の病歴を明かしたことの経験に ついて触れられているが、現実我々はそこまで互いを信頼していない。
しかし、FaceBookを通じて様々な情報交換のイノベーションが始まっているこの 時代において、自分の情報について我々自身が個人の問題とし て考えるべき時 期に来ていることはほぼ間違いなさそうだ。
http://wired.jp/2013/02/09/how-facebook-is-changing-science-and-health-care/
最近通勤電車などに乗っていても、スマートフォンでFaceBookを見ている人をよ く見かけるようになった。本当に物凄い普及のスピードである。
それもそのはず、2004年にスタートしつい2年前に全世界でユーザ6億人突破、 去年の秋には10億人を突破したというザッカーバーグCEOのア ナウンスがあった。
つまりこれだけの規模であるのにも関わらずさらに加速的に増加しているわけだ。
これは驚異的なことだ。
これだけのユーザを抱えるシステムはどんな構成なんだろうかと職業柄考えてし まうけれども、規模が大きくなることにより我々業界人の興味とは違っ た面、 その社会的側面が注目されてきている。
医療の世界というのは永らく医師の裁量が大きく、我々医療サービスの”ユー ザー”は経済的、地理的事情によって均一な医療サービスを受けられる状 況にな いというのが事実だ。
この記事で取り上げられるような、FaceBookを介しての医療活動へのアクション の方が有効であるとなれば、確かに重要な動きになりうると思 う。
医療機関にとってこうしたサービスが伸び目になるのか命取りになるのかは門外 漢の私には判断できないけれど、今時直接病院まで行かないと医師に相 談一つ できないというのも数百年も前から同じで、あまりに古いという気もする。
この状況を改善するのはやはり情報技術なのだろう。
ここでまたもや可能性の話で恐縮だが。。。
一つの重要なポイントとしてカルテの共有化ということがいずれ検討されてもい いインフラは整っていると考えている。
広い世界のこと、実際にこうしたことが行われているところが既にあるかもしれ ない。
現在は医療機関ごとにカルテが管理されているし、医療行為の内容にしても通常 なら院外に出て行く情報ではない。
何か医療事故などが起きて、法的な資料として扱われることなどなければカルテ が外部に晒されることなどないのではないかと我々は認識している。
実際はどうか?
実は医師法により5年間(だったかな?)の保存を義務付けているだけで、その 情報の開示自体は個人情報保護の観点から持ち出し等に病院独自の対応 をして いるというのが現実。
突き詰めれば患者本人の意思としてカルテの情報を一般に開示したいと思えば、 個人のリスク以外法的には制限はないわけだ。
自分の意思で公開して、必要とあれば広くネットを介して医療の専門家に相談で きるとすれば、これこそが医療サービスの均質化につながる布石になる のでは ないか。
しかし正直いいことばかりでもない。
病歴とか第三者が自在に見れるとなると、勝手に製薬会社などからDMが殺到した りするという可能性もある。
職場で、その病気は職務を遂行するのに問題がないかなどと一方的に評価に使用 される可能性もある。
また、根源的道義的な問題などが絡んでくることももちろん慎重に考えなければ ならない。
もし、あなた自身があるいは身近な人が知らぬ間に死の病に冒されているとし て、その事実を衆目に晒し、また受け入れることができるかということ だ。
こうしたことが技術的には可能になっていることを考えれば、どこまで個人の情 報は世間に晒すことができるのか?
ジェフ・ジャービス著 「PUBLIC」には著者自身の病歴を明かしたことの経験に ついて触れられているが、現実我々はそこまで互いを信頼していない。
しかし、FaceBookを通じて様々な情報交換のイノベーションが始まっているこの 時代において、自分の情報について我々自身が個人の問題とし て考えるべき時 期に来ていることはほぼ間違いなさそうだ。