先の衆議院解散を受けて、今年末は選挙で何かと世間が騒がしい。
民・自のメジャー政党に対する第三極として沢山の小政党ができ、不思議な活況を示している。
悪い言い方をすれば「雨後の筍」とでもいう状況だが、日本維新の会が支持を広げつつある今、この構図も若干変化してきたようでもある。
さて、この中で過去数回の討議があったものの結局今回も流れたネット選挙。
なぜ、何度も実現可能かテーブルに乗りながらも毎回引っ込められてしまうのだろう。
一説には、ネット選挙が実現した場合、最もネットでの投票で効果のありそうな年齢層が若年層なので、高齢者の票をあてにしている昔ながらの支持基盤に依存している政治家には負担ばかりでメリットがないという話がある。
そもそも政治家本人が老齢なためその有効性が理解できないから導入されないのだという向きがある。
これは本当か。
確かにネットでの投票はできないが、党・議員の宣伝や意見を述べる場としてのネット利用は規制されていない。
いまや政治家はツイッターで自分の政治的な意見をつぶやき、党首会談は既存のTV放送ネットワークではなくネット中継で放送されるわけだ。
ネットを使った選挙戦は2008年の大統領選でのオバマ大統領が最大限にこれを活用して勝者になったことからグッと注目されている。
その頃から日本でも多くの政治家がブログやSNSを通じて一般有権者にアピールする場を求めて参入している。
テレビなどの既存メディアは既にその役割を降りているのだ。
この状況をみれば、ネットでの選挙活動自体がメリットがないというのはちょっと考えられないかもしれない。
確かに小さな自治体の町長、村長みたいな選挙なら不要だと思う。しかし都道府県知事、衆参院の選挙ともなれば不特定多数の有権者にアピールする手段として効果を期待できる。
一人がやればニッチだが、みんながやればそれはマストになる。
政治家本人が老齢だからITの導入には躊躇するというのも、実際は考えられないだろう。
政治家本人がコンピュータシステムを使いこなす必要はない。サイトを立ち上げたりメールを書いたりする必要はない。彼らもチームで動いているわけなので、中にそうした戦略に長けた人物がいればそれでよいのである。
ゆえにこの説も真に受けることは危険だと思うのだ。
実際に投票所に行って投票するのとネット上で投票をするのとどう違うか。
投票所で投票用紙に記入して箱に入れる場合、票が本人の意志で投じられたものであることは明白。
しかし、家のPCの前、あるいはスマートフォンから不定期な時間帯に投じられる票、後者ではそれが本人の意志かどうか曖昧になってしまうのだ。
この不透明性はネットが本来持っているもので、それゆえに利便性が確保できている面もあり、一概に否定することはできないが、こと選挙というシチュエーションに照らすとあまりよい属性とはいえない。
そして、こうした状況を想定すれば、どんなことが起こりうるかが推測可能だ。
家族や友人の代理投票行為を取り締まれないので、本人が思う通りの候補者に票が投じられないことがあるかもしれない。
そもそも投票に行かない有権者の情報を事前に入手して、それを自分への票としてエントリするような行為が可能になるかもしれない。
また、そうなれば文字通り票を金で買うなんて行為も横行するだろう。
こうした不正に対処するために、本人であることを正銘する認証の仕組みなどを堅牢に、だが誰にでも使いやすく実現化する必要があるのだ。
認証のための情報は一括して管理する必要ができ、ここで全国民に一律番号を付ける総背番号制が実現してしまう怖れがある。
まるでSFの世界のような話に聞こえるかもしれないが、実際にそうした制度で全国民を”背番号”で管理している国はある。
一律の番号で管理されるとしても、それが忽ち管理社会になるというものでもない。
一番の脅威は、国民全員の投票の履歴が管理されることではないかと思っている。
既にネット上にはあなたの住所氏名や年収、家族構成、職業、趣味からどんな買い物をしてきたか、どんなサイトをブラウザで閲覧したか、そんな情報が既に蓄積されていると考えていい。
そこに過去の選挙の投票履歴が付いたら、あなたの政治的スタンスはすぐさま分析されることになる。
「こういう本を読む人はxxx党の支持者となる確率がXX%」
「過去数回の選挙で毎回違う政党に投票しているので、この人は潜在的な投票者として獲得可能」
「ネットではxxを支持する発言をしていたのに実際には違う候補者に投票している」
...
こんなことが世間に丸見えになってしまう世界がその先に出現するかもしれない。
こうした懸念がネット選挙の実現を阻んでいると思うのだ。
いつの日にかこれが実現する暁には、上記のような問題はクリアされ、利便性だけが享受できることを願う。