
ヴィジュアルが喚起するパンク&ロックの歴史:『Art of PUNK & ROCK』展ほかが開催!
http://wired.jp/2013/04/09/art-of-punnk-rock/
パンク・ブームって何だったのだろう。
その昔、初めてセックス・ピストルズをTVで観たとき、ジョン・ライドン(当時ジョニー・ロットン)が唾を吐きながら歌うのを汚いなと思った。第 一印象はそれだけ。
そのあと、ロンドン・パンクの盛り上がりに乗じてクラッシュ、ダムド、スージー&バンシーズなど多くのバンドがシーンを賑わすようになった。
このヴィジュアルにもある女王陛下の写真をアレンジしたあの画像なんかもこの時期からよくシャツの図柄になったものだ。
今聞くと音楽自体は普通にうるさいだけのロックという感じで、多くのバンドが素人っぽさを隠さないパフォーマンスであった。
むしろその中でピストルズなどは誰が演奏しているのだろうか、レコードでは結構上手いのでそれなりに聞けたりもする一種の可笑しさもあったのだ。
つまり音でいえばそれまでのロックと比べて何が新しかったのかというと実際よくわからないのだ。
ところが、ヴィジュアルは全く違う。
それまでロック・スターといえば大体において長髪で変な体にピッタリの服を着て小綺麗だったのに比べ、破れたシャツ、ボサボサの髪、無造作に刺し た安全ピンなどその”汚さ”が格段に新鮮だった。
つまりパンク・ロックの実体は音楽ではなく攻撃的ファッションだったといえる。
このムーブメントは、もともとファッション先行であり、パンク・ファッションを流行らせるための宣伝のような形で音楽はオマケだったのだ。
ムーブメントの象徴であったピストルズは人気が出てきたところでジョン・ライドンがアメリカツアー中にピストルズを脱退してバンドが空中分解した ことは、当の仕掛人たちにとってちょっとしたプロモーションの終わり程度にしか意識されていなかっただろうことは想像にかたくない。
やれやれ、もう少し稼げるところだったのに。。。
ここから物事は勝手に動き出し、誰も止められなくなった。
ファッション先行だったこのロックが1ジャンルを形成した始めたわけだ。
文化的なブレイクスルーがこうしたきっかけから起きていくことは歴史上よくあることではある。
特に、それまでのスタンダードに飽和感が満ちており、潜在的な刷新の機運がある時というのはタイミングとしてうってつけだ。
古いロックが産業化し形式的に堕していったように感じられていたこの時がまさにそうだったのだ。
頷ける話として、パンク中には一種のテーゼがあって、ミュージシャンシップというか職業音楽家らしい言動はクールでないとして激しくこき下ろされ たものだ。
ザ・フーやイギー・ポップなどサウンド的に近い感触のあるアーティストはこの惨禍を免れた。
ストーンズやデヴィッド・ボウイなどはのちに復権した”復活”組である。
かつて堕落したカトリックから離れ聖書を拠り所に宗教改革を謳ったルターの活動のような大衆への音楽の奪還がそこに始まったのだ。
別に清貧がよいとか言っていたわけではなくて、単に標的が欲しかっただけだったのだろうと思う。
その、何かに対する怒り、不満の持って行き場として最良の環境を整えてしまった1970年代のロンドンは、十数年前のビートルズの時代から久しく またも音楽シーンの風雲をお膳立てしたわけだ。
のちにビッグネームとなるU2、スティング、ポール・ウェラー、エルヴィス・コステロなどを含む当時の若いミュージシャンがこのムーブメントから 出てきて、画一的なロックの方法論から脱して様々なアートや文学、音楽ジャンルに積極的に接する姿勢を見せたことから80年代以降の新しいロック の流れを形かつて堕落したカトリックから離れ聖書を拠り所に宗教改革を謳ったルターの活動のような大衆への音楽の奪還がそこに始まったのだ。
まさに百花繚乱である。
この時期に青春時代を過ごした我々は徐々にパンクがブレイクスルーした跡をゴールドラッシュのように多くのミュージシャンが駆け抜けて行ったのを目の当たりにした。
それは紛れもなく歴史の変わるときであった。
が変わったということであった。
つまるところ
パンク・ブームとは、時代の徒花である。