「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果
昔、「はじめ人間ギャートルズ」というマンガがあった。
原始時代を舞台に現代人のパロディが展開される異色の名作として印象深い作品 だが、その中で人間たちが共同してマンモスを狩るシーンが数多く出て くる。
現代のアフリカ像より一回り以上大きいマンモスはとてつもなく大きくて人間一 人や二人では手に負えない。
それこそ集落単位などで男総出で共同して1頭を仕留めるとかいうのは非常に現 実味のある描写だったと思う。
そうした社会は他の動物を狩る動物たちの生きる食物連鎖の世界のままであり、 そこには群れを作る動物にあるようなボスとそれ以外のメンバーという 関係は あったかもしれないがそれは自然発生的な秩序であってボスの座を巡る闘争行為 は本来の目的ではなかったはずである。
では、人間が戦わずにいられなくなったのは、何がきっかけなのだろう。
ひとつには農耕の普及があると思う。
農耕で糧を得ることが可能になった人間は、狩猟時代とは異なる複雑な社会を形 成する道のりを歩き始める。
作物を育て収穫して生活するとなれば、土地が必要である。
狩猟時代の猟場も問題になったであろうが、人間がごく少なく野生の獣が多く生 育していた時代にはひと山向こうに行けば、川をいくつか越えれば新規 の猟場 は今よりも簡単に見つけられたかもしれない。
しかし農耕を中心に生活が回りだすと、耕作地は容易に移動できなくなり、土地 との結びつきが重要となってくる。
土地を守るため、あるいはよその土地を奪うために武器を常に進化させ、より殺 傷力のある武器を持っているものが常に上にたち多くの土地を保有し結 果多く の食物を手にし多くの弱者を配下に従えていく社会に移っていったのではないか。
元は棒きれや石の鏃であった武器が数万年のうちに核兵器やサイバーテロに変 わったのが現代とすれば、人間の生き様そのものは見た目ほどは変わって おら ずむしろ昔のままであるといってもいい。
そしてそれは人間のみならず地球そのものを破壊するまでの影響力を持つにいた り、我々は自分自身の手で簡単に自分たちを葬ることのできる道具を手 に入れ ているのだ。
そしてその武器の存在により表面的に社会が秩序を勝ち得て皆が平和に繁栄して いるようにみえる。
これはパラドックスだ。
人間の本質としては戦いはなくとも、人間が人間らしく生きていく道を切り拓く 過程で攻撃性を身に着けていったとすれば、人間らしい生き方とはすな わち己 の滅ぶ道そのものであるといえる。
我々は滅びへの道を間違いなくひた走っているわけだ。
人間は地球上でもっとも賢い動物であるという意識があるが、人間を取り巻く流 れを数万年のスパンで追ってみれば、数万年も同じような愚行を繰り返 す人間 という生き物は知的には進化などしていないということが感じられるかもしれない。
しかし平和的に暮らしたいといっても今さら狩猟の時代に戻って洞穴の生活に戻 ることは不可能だ。
今からが本当に人類が発達するかの局面なのかもしれない。
http://wired.jp/2013/07/25/to-war-is-human-perhaps-not
狩猟が生活の糧を得る唯一の手段であったとき、人間たちは何を学んだか。昔、「はじめ人間ギャートルズ」というマンガがあった。
原始時代を舞台に現代人のパロディが展開される異色の名作として印象深い作品 だが、その中で人間たちが共同してマンモスを狩るシーンが数多く出て くる。
現代のアフリカ像より一回り以上大きいマンモスはとてつもなく大きくて人間一 人や二人では手に負えない。
それこそ集落単位などで男総出で共同して1頭を仕留めるとかいうのは非常に現 実味のある描写だったと思う。
そうした社会は他の動物を狩る動物たちの生きる食物連鎖の世界のままであり、 そこには群れを作る動物にあるようなボスとそれ以外のメンバーという 関係は あったかもしれないがそれは自然発生的な秩序であってボスの座を巡る闘争行為 は本来の目的ではなかったはずである。
では、人間が戦わずにいられなくなったのは、何がきっかけなのだろう。
ひとつには農耕の普及があると思う。
農耕で糧を得ることが可能になった人間は、狩猟時代とは異なる複雑な社会を形 成する道のりを歩き始める。
作物を育て収穫して生活するとなれば、土地が必要である。
狩猟時代の猟場も問題になったであろうが、人間がごく少なく野生の獣が多く生 育していた時代にはひと山向こうに行けば、川をいくつか越えれば新規 の猟場 は今よりも簡単に見つけられたかもしれない。
しかし農耕を中心に生活が回りだすと、耕作地は容易に移動できなくなり、土地 との結びつきが重要となってくる。
土地を守るため、あるいはよその土地を奪うために武器を常に進化させ、より殺 傷力のある武器を持っているものが常に上にたち多くの土地を保有し結 果多く の食物を手にし多くの弱者を配下に従えていく社会に移っていったのではないか。
元は棒きれや石の鏃であった武器が数万年のうちに核兵器やサイバーテロに変 わったのが現代とすれば、人間の生き様そのものは見た目ほどは変わって おら ずむしろ昔のままであるといってもいい。
そしてそれは人間のみならず地球そのものを破壊するまでの影響力を持つにいた り、我々は自分自身の手で簡単に自分たちを葬ることのできる道具を手 に入れ ているのだ。
そしてその武器の存在により表面的に社会が秩序を勝ち得て皆が平和に繁栄して いるようにみえる。
これはパラドックスだ。
人間の本質としては戦いはなくとも、人間が人間らしく生きていく道を切り拓く 過程で攻撃性を身に着けていったとすれば、人間らしい生き方とはすな わち己 の滅ぶ道そのものであるといえる。
我々は滅びへの道を間違いなくひた走っているわけだ。
人間は地球上でもっとも賢い動物であるという意識があるが、人間を取り巻く流 れを数万年のスパンで追ってみれば、数万年も同じような愚行を繰り返 す人間 という生き物は知的には進化などしていないということが感じられるかもしれない。
しかし平和的に暮らしたいといっても今さら狩猟の時代に戻って洞穴の生活に戻 ることは不可能だ。
今からが本当に人類が発達するかの局面なのかもしれない。