今年はビートルズがアルバム・デビューして50周年だ。
存命している元メンバーのポール・マッカートニーやリンゴ・スターは今なお現役で折にふれ若々しい姿を見せてくれているだけに、なんだか「本当 に?」といいたくなる年月だ。
本当にPlease Please Meから半世紀なのか。。。
私が少年と呼ばれる年代のころ、既にビートルズは解散していた。
少し年上の年代の、しかも洋楽好きで通っているお兄さんお姉さんが少し大人びて「こういうのもあるんだよ」的にネタとして開陳するべく聞いてい る、それがビートルズだった。
ローリング・ストーンズともなるとそんな洒落者たちもせいぜいSatisfactionを知ってるくらい。
ザ・フーやキンクスに至っては大体レコードが廃盤で中古の輸入盤くらいしか手に入らなかったし、当然知っている人など稀だった。
ついこないだまで熱心にオフコースを聞いていた人たちが突然レザーのジャケット着て髪を逆立て「ロンドンが燃えている」とか歌い出す一幕もあり、 そんな人たちにましなギターソロ弾いてみろよとかいう性悪なギターフリークたちも健在だった。
千葉の田舎にそんな混沌とした80年代が訪れようとしている矢先、地球半分くらい遠く離れたNYで事件は起こった。
ジョン・レノンが突然逝ったのである。
ビートルズは時代がパンクになろうがニューウェーブになろうがなんだろうがずっと好きで聴いていた。
それこそ隅から隅まで(ただしYellow Submarine除く)だ。
そしてその昔にこのクールな音楽を作っていた奴等はすげーななどと朧げに想像しているだけの存在だった。
それが、だ。
皮肉にも、元メンバーであるジョンが射殺され永遠に我々の元に還ってこない存在となったことが分かったと同時にリアルな存在となった。
まさに「いつまでもあると思うな...」という話だが、4人で一つのピースがたまたま今はバラバラになっているだけで、そのうちまた一緒になるさ などと楽観的に考えていた甘ちゃんは私だけではなかったはず。
それは全員が存命であればいつまでも持ちつづけていられる幻想だったし、ファンとしてはそう思い込んで安心したかったのかもしれない。
しかし一人欠けてはもういけない。しかもメイン・ソングライター・チームの片割れである。
否応なしに「彼らは戻ってこない」という現実に直面させられたわけだ。
誰かがこの事件を例えて「近所のうまいパン屋が店をたたんだからといって、一生パンが食べられなくなるわけでもなし」と言っていたが、そう割りきれるものでもない。
のちのジョージ・ハリスンの死も痛ましかったけれど、衝撃度はこっちが断然大きかったように思う。
彼らはもう戻ってこないとわかってから私は本当のリスナーになった。
いろんなビートルズに関する本などを読む、メンバーのソロ作を聴いてみる。。。(ただしリンゴは除く)
無名の一般人である私にはどこにいても誰もが知っている有名人である苦しみは共感できない。
巨万の富を持っているばかりにわけの分からない人たちに付き纏われる煩わしさも分からない。
また、バンドがいつもレベルの高い楽曲を提供していくことのプレッシャーの大きさなど語ることはできない。
しかし、彼らの行動、詞や曲に込められたメッセージを心象表現として読み解けば決してハッピーでは終わらないとりとめのない苦悩が見えてくるのだ。
その中でもとりわけ心情を歌詞として吐露していたジョン・レノンは曲を通してその人となりがよく見える存在だった。
HelpやNowhere Man、Strawberry Fields Foreverで描かれる言葉の世界が、曲調の鮮烈なイメージとは裏腹に非常に殺伐としているこのギャップはどうだろう。
The Ballad Of John And Yokoなんていう曲はかっこいいしメチャメチャ好きなのだが、これも歌詞だけみれば恨み節のブログみたいなものである。
彼は少年時代から親に顧みられない境遇で育ち屈折した人なのだけれど、音楽(ロックンロール)に出会ってから俄然のめりこんだ。
鬱屈した”何か”を吐き出す手段を手に入れてしまったのだ。
そうやってマイナスな部分を吐き出すことで作った音楽が多くの人を惹きつけ虜にしてしまったのは、彼の天才たる所以であろう。
その屈折した感性が同じく母親を亡くしたばかりで心のどこかが痛んでいたもう一人の天才ポールとの縁を結んだことも大きい。
しかし、彼らの思いは次第にエスカレートしていき坂道を落ちる雪だるまのように膨張しながら暴走し始める。
無関係な人間が大勢ゲームに参加し狂乱の中で世界中を飛び回る生活。
必死に働いて手に入れた成功の味はいかほどであっただろう。
ツアーをやめ、レコーディング・アーティストとしてスタジオに篭ったその顛末をみれば明らかだ。
成功は幸せをもたらしてはくれなかった。心にあいた穴を埋めてはくれなかったのだ。
そしてビートルズは迷走を始めしばらくのちに空中分解する。
グループ解散後も様々に迷走し、ついに音楽活動を止めることでジョンは人としての幸せを手にした。
このとき、生まれて始めてウクレレを手にして音楽に夢中になった少年時代と同じように無垢な気持ちで音楽にも向き合えるようになったんだろうと思う。
孤独で粗暴な寂しい男が人として苦しみ成長していく生き樣を綴った歌、それこそがビートル・ジョンが我々に残したものであると思う。
私は自分の心の痛みを疼かせる彼らの歌をこれからも聴き続けるだろう。
”ビートルズは、
ほしいだけの金を儲け、
好きなだけの名声を得て、
何も無いことを知った"
ジョン・レノン