東日本大震災から2年、復興と検証・記録・対策をICTで http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130307/461601/
ちょうど2年前になる。
3/11の昼過ぎ、京都の現場にいた私は何気にTwitterのタイムラインを見ていた。
突然タイムラインが「地震だ」、「揺れてる」といったツィートで埋め尽くされた。
なんだろうとみてみると、東日本方面で大きな地震があった模様で、ツィートの状況から大きな被害が出ていることはまず間違いないと思った。
そうしているうちに私の足元も薄気味悪く揺れ始め、しばらくして止んだ。阪神大震災の時は家もろとも巨人の手につかまれて揺さぶられたようだったが、2年前のあの揺れ方はそれとは違い、敢えていうならばまるでブランデーグラスの中にいるような感じだった。
最初のツィートをみてからそこまで1分半から2分くらいだったように記憶しているが定かでない。
そしてその後津波が来たらしいという情報があった。もちろんその時点では津波の規模も被害の程度も何もわからないが、とても嫌な予感があったことを覚えている。
これが震源から遥か700km以上離れた場所の私にとっての3.11その日その時。
驚いたのはその後数時間ののちには避難所の情報や安否確認の情報が流れ始めたことで、携帯電話が使えなくなっている代わりにインターネットがどうやら機能していることがわかった。
いざというときに携帯電話網が使えなくなることは正直誤算だった。この点、当初から元々一部の経路が断線していても迂回路がいくらでも作れるような構造をもっていたインターネットの面目躍如だ。
実のところ、私がインターネットとSNSの存在感をリアルに感じたのはこの時だった。
インタネットの構造上の強さとTwitterの瞬発力は災害時に非常に強力なツールとして機能することが結果として証明された形になったわけで、この世界がより社会に深くコミットしてくるであろうことを確信した、私もその一人だ。
現に震災による原発の事故やその後の政府の対処を経てのネット上での原発に関わる様々な立場、考え方の違いが明らかになってくるとネット、主にSNSなどを起点とする情報の流れはひとつの社会的なうねりとして無視できない存在になってきた。
新しいエネルギーについて考える場として、安全な生活を求めていく上で必要な情報を得ていく場として、ネットは多くのことを提供してくれる。
しかし震災の時にでさえ、心ないデマを流したりという人もなかったわけではないことも事実。
悪意があるなしに関わずネット上を流れる情報の質についてもよく考える機会となったというのはプラス面、ネット人のリテラシーの低さにあらためて失望したというのはマイナス面だ。
やはり受け取る側の責任として情報の見極めは必要で、今後キュレーションという概念がどこまで浸透し発展いていくかがネット社会がわれわれにとって意味のある存在であり続けられるかの一つの鍵となるだろうと思う。
できうるならば、画一的なものではなく個人の自由を尊重した形で情報の洗練が行われるような仕組みができるといいと思っている。
それにしても被災地の復興に関わる様々な局面でICTが大きな役割を果たしているというのは、ひとつには震災によってネットに対し、SNSに対し、またそこを行き交う人の持つ力に対し世の中の認識が変わった部分も大きく寄与しているのではないかと思うのだ。
そういう意味で3.11というのは、大きな岐路となったといえる。
たとえ誰も望まなかったとしてもだ。