私はどういうわけか涙もろい。
ドラマなど見ていても別れのシーンなどでは涙腺を緩めてしまう。
男なのに格好悪いだとか言われたこともないが、自分では割と気に入っている性質ではある。
泣いたりせずに事も無げにしている方がいいのか。。。
たとえばだ。同じ文章や映像を見て得られる感動の量で考えてみたらどうだろう。
泣くほど感動したのなら、何も反応がないのに比べてこれはコストパフォーマンスが高いといっていい。
作った人の側だって大きな反応があった方がよっぽどやり甲斐があるだろう。
そう思って世の中のためにこれからもジャンジャン泣くことにする。
それにしても常々思うこと。
不思議なのは物事に対する感動量とでもいうべきもの
この相対的低下には戦慄さえ覚える。
それこそ20年も昔なら、10000円札1枚が手元にあったらとてつもなくリッチになった気分を味わったものだ。
あれも買える、こんなとこにも行ける、それも食べれる。。。
それが今はどうか。
その間に自分も成長したし、世の中の貨幣の基準も変わったのは事実。
しかし同じ10000円札を手にしても、今は昔ほどにリッチな気分にはなれない人が多いだろう。
インフレ経済に物申すつもりはない。貨幣を昔の価値にしてくれというのではやはりない。
それこそ昔、たった10000円でも得られた嬉しさ
その感動の量はどこに行ってしまったんだろう。
もし10000円で昔の喜びが感じられるようになれば
100円でも1000円でも今より沢山の幸せを感じられるようになるかもしれない。
たったこれだけか、とか不満に思うよりも
どうせなら楽しく暮らす方が楽しいとは思わないか?
有ることに感謝し、得られるものを喜ぶ。
そういう心の持ち方で人生はガラリと変わる。
得な生き方っていうのはそうなのかもしれない。
それこそ自分の周りが泣くほど嬉しいと思える事ばかりになったら、間違いなく人生は楽しくなるね。