最近というか、今になってジャレド・ダイアモンド氏の「文明崩壊」を読んでいる。
決して楽しい内容とはいえないが、避けては通れない、興味深い問題をそこにみる。
かつて地上に栄えた文明の痕跡だけが遺るというケースが世界のあちこちにある。
しかしそこには今は細々と人が暮らすのみ、またはもう誰一人住んでいないなどということもある。
だとすれば、そこで文明を築き繁栄を享受した人間たちは今はどこへ行ったのか、あるいは死に絶えてしまったのか。
何が原因でそうなったのか、氏はそれを多くの調査と推論から解明を試みる。
避けて通れないのは、今の我々の世界の行く末にも同じ影が忍び寄るから、数百年数十年どころか2、3年先のことだってわからないそんな状況におかれているからだろうと思う。
環境破壊だ何だと騒ぎになることは多いけれど、かつて繁栄した文明がいかに存続したか、あるいはどのように滅亡までのシナリオを辿ったかを検証す るという観点は思ったより少ないのではないかと思う。
H.R.ハガードという人の「洞窟の女王」という小説に、2000年以上を生きる女性が登場するが、その彼女が20世紀の人間と遭遇し、エジプト の文明がどうなったか、ギリシャの現在はどうなっているのかと尋ねるシーンがある。
エジプトもギリシャも古代に栄えたような文明はとうに廃れてしまい、同じ名前の国としては存続しているが昔とは違う国なのだと告げる。また、近隣のイスラエルに至っては国がなくなったとも。
2000年前の世界を知るものにはそれは衝撃であり、また何が起きたかを知りたいという強い欲求にかられる話題として登場する。
まさかあの国がなくなるとは、信じられない。。。だが、現実にはない。
これは多くのことを示唆しているのではないだろうか。
これら古代の文明が廃れてしまったのは、多くの場合国家の規模が大きくなったり統治の困難さが増してきたときに政治的な混乱が生じ、そのために国が力を失い周辺の国に主導権を奪われていくというケースが多いはずだ。
たとえばエジプトもギリシャも昔から人は住み続け、今も住んでいる。
これは政治的に問題があったとしてもその地に住む人たちが生活を営むことが可能な場合のむしろ世界的には特殊な例のようである。
特にポリネシアなどの島に栄えた文明の末路は厳しい。
暮らしの営みが食糧を得るため、経済活動をするため、あるいはその両方であったとしても鉱物、農産物、動物など土地の資源を明らかに消費していく 以上いつかは枯渇という事態に直面する。
そうしたときにその土地を捨ててどこか違う場所へと移動する手段に制限が多いために、その島に残ったものたちの中で激しいパイの争奪戦が起きなかば自滅していくという結末を迎えるのだ。
もっとも苛烈な結末は人同志の共食いによる人口の減少で、人間も突き詰めれば獣になるのだということを思い知らされるが、そうなれば社会性も何もなくサバイバルのみの世界になり、社会を持続していくことは非常に困難になる。
船も飛行機もある現代にそれはないだろうとも思うが、世の中何が起こるかわからない。
四方が見渡せる大陸でありながら政治的圧力などにより孤島状態に追い込まれるような事態だって起こりうる。
一つの重要なキーはやはり環境である。
環境をゆっくりであるとはいえ消費しながら営んでいく社会はいずれどうしても袋小路に入ってしまい、あとは闘争、社会不安、飢餓などありとあらゆ る災厄のステージとなる。
消費はするが最低同じスピードで再生する手立てを講じながら常に一定のサイクルで循環する仕組みなしには地球全体が飢餓に苛まれた孤島となる。
資源リサイクルの取り組みも部分最適化ではなく、全体最適化に発展しなければならない。
このとき、功利主義とのトレードオフにも直面するだろうし、全体が歩調を合わせることなど本当にできるのかなと思ってしまう。
だが、時代はどうやらそちらに流れているようだ。
やはりそうした消費~再生の仕組みを考えながら進む以外に未来はなさそうだというのが私なりに考えて至った結論だ。
とはいえ、まだ最後まで読んでないので、読了後になんといっているかはわからないが。。。