世界的権威レイ・カーツワイルが、グーグルで目指す「究極のAI」
http://wired.jp/2013/05/02/kurzweil-google-ai/
究極のAIとあるが、確かにフューチャリストの権威、レイ・カーツワイルが合流するというニュースはGoogleの今後を予感させるものがある。
カーツワイルが語る未来というのは、視点というか、スケールが違う。
世間でよくある、来年になったら、再来年になったらこんな新しいサービスが流行るのでは?などというものではない。
歴史が始まって以来の人類の進化のスピードがいかに加速しているか、そうすると人類が進化上の特異点に至るのはいつ頃で、といった領域の話になる。
一企業の将来などを遥に超えた人類の未来を語る権威となれば、未来を語らせればこれ以上の人選はありえないといっていい。
この時期にGoogleはあえてそのカードをきってきたわけだが、これはどう捉えるべきだろうか。
世界のあらゆる情報を集めることを目的としてこれまでやってきたGoogleが昨今AIなどに進出してきているのはまずどういうことか。
いよいよこれまでの情報を集める段階が仕組みとしてもビジネスとしても成熟し、今後はそれを活用して何かを作り出す段階に入ったと考えるべきだろう。
ビジネスの力点をAIを活用した新しい方向性にシフトしていくのかもしれない。
同社は、一昨年にCEOをそれまでのE・シュミットからL・ペイジにバトンタッチしており、従来基幹としていたクラウド・サービスからGoogle+を中心としたソーシャル系に注力すると方向転換を宣言した。
以来、ソーシャルでは同社の前に大きく立ちはだかるFaceBookに追いつけ追い越せのレースに参加したものと考えていた。
それから早や2年、Google+はどうなったのか動向が曖昧だがもちろんFaceBookに勝利したという話もきかない。
勝手に憶測で判断すならば、このソーシャル方面への注力は少なくとも華々しい成果は上げられていないと考えてよさそうだ。
そうして新展開を模索する上でのキーワードがおそらくAIなのだ。
元々の主戦場であるクラウド・サービスの世界もAmazonの参入あたりから業界の勢力図が変わってきており、Googleがそこに立ち戻ろうとしても逆にトップランナーであるはずの自分自身が他社の後塵を排する形になるのはいただけないだろう。
クリエイティブであることを最大の武器にするGoogleはいつまでも検索エンジンだけで食いつなぐ会社ではそもそもない。
戻る場所はなくなった。
それならばクラウドでもなくソーシャルでもない新しい展開を作ろうじゃないかという意志の表れであると私はみる。
そこで、カーツワイルの登場である。
すでにフューチャリストとして数々の実績を持つ同氏を、技術フェローなどでなく社に迎えたということだが、Googleと同氏の距離がさほど遠いわけではないけれどどうにもインパクトがあり過ぎるように思う。
これはおそらく前回ペイジが肝入りで立ち上げ、結局は曖昧な結果に終わったソーシャル路線からの事実上の変更を内外に喧伝するためのイベントとして捉えられないだろうか。
カーツワイル本人のコメントにもあるように、彼の元に寄せられるアイデアは95%が失敗するのだ。
その一部はどうにもならないような代物かもしれないが、実際彼の言うようにタイミングが合わずに実現しないものは相当数あるのだろう。
これを営利目的の企業でやるとなると、どうだろう。
95%失敗ではいかにGoogleとはいえど忽ち苦境に立たされるだろう。
むしろ、カーツワイルがGoogleで何をするかということに関してはたぶん研究開発的な内容が主体であり具体的な製品やサービスはほとんど出てこないかもしれない。
むしろ彼が着目するものの中で5年先、10年先の展開を期待できる”何か”をGoogleが見つけるための手段なのではないかと邪推している。
もちろんGoogleの資金で様々な研究ができるのならば研究する側にとっても悪い話ではない。
カーツワイルがGoogleで何をするかよりGoogleで何をしないかが実は重要なのかもしれない。
その間、多くの場で未来を語らってもらえばその虚実の如何に関わらずGoogleにとってのイメージ戦略として有効だろう。
まあ、少なくとも、今は。