Googleがおじいさん、おばあさんを失墜させる
母方の祖父だけが比較的長生きで、私が10代の頃までは存命だった。
しかし、必要以上に寡黙な祖父からあまり昔話など聞いたことがない。
祖父は神奈川の田舎に生まれ育ち、第二次世界大戦より前のおそらく第一次世界大戦か日中戦争初期の頃に衛生兵として兵役を勤めた。
その後地元の市役所に職を得て兼業農家で定年まで勤め上げたという。
その昔家が家事になったとき、よく知っている間柄であるはずの近所の人たちに火事場泥棒されて家財道具がごっそりとなくなったことなどあり、遠縁 を含む地元の人たちを基本的に信用していなかったようだ。
昔はうちにも日本刀があったんだがなあ。と溜息まじりに話すのを何度か聞いたことがある。
そういう経験があったからなのか、昔のことを語るのは気が進まなかったのかもしれない。
しかし、まともにコミュニケーションをしていない外孫である私の趣味趣向がなぜか祖父と似ている。顔は似ていないけれど。
今になって世の中のことにいろいろ興味を持ち始めてきて、改めて年長者とは話すものだと気づいてはみたもののかなり手遅れだ。
高齢化が加速する日本にあっても、だ。
しかしインターネットの存在が高齢者とのコミュニケーションを奪っているという話題だが、高齢者だって昔のように縁側で暇そうにぼんやりしてばか りいるわけではない。
若年層の労働力が相対的に少なくなるこれからの時代、高齢者は社会においては現役としてますます存在感を示すはずだ。
直接の思い出話はないかもしれないが、彼ら(われわれ)も同じようにネットでのコミュニケーションを豊富な記憶を展開する場として活用するのは間 違いない。
もう楽隠居なんてのは昔の話だ。
グローバリゼーションにおける世界のそれではなく、世代間のフラット化が進む世界。
知識量が多い世代により以前よりもっと情報量も増えていくはずである。
問題があるとすれば、ネットの世界は記憶の世界で起こるデフォルメが許されない世界であるということだ。
人の記憶はある程度いい加減にできているから、記憶の断片が意識によって変更されることがある。
それがなぜ起こるのか、記憶力が不十分なのか記憶しやすいからなのかは私は知らないけれども、過去のたとえば忌まわしい記憶などは常に未来永劫鮮 烈であれば気持ちの上での整理ができない。
これを部分的にデフォルメすることによってあなたの精神の均衡を保つこともできるわけだ。
しかし今は違う。
膨大な情報があなたの記憶を訂正するばかりでなく精神上の負担をも重くする事態を招くことになるかもしれない。
自分に言っておこう。これからはその覚悟は必要だぞと。
http://wired.jp/2013/03/14/google-vs-grandparents/
私の家系は元々長生きではないので、私は祖父母をほぼ知らない。母方の祖父だけが比較的長生きで、私が10代の頃までは存命だった。
しかし、必要以上に寡黙な祖父からあまり昔話など聞いたことがない。
祖父は神奈川の田舎に生まれ育ち、第二次世界大戦より前のおそらく第一次世界大戦か日中戦争初期の頃に衛生兵として兵役を勤めた。
その後地元の市役所に職を得て兼業農家で定年まで勤め上げたという。
その昔家が家事になったとき、よく知っている間柄であるはずの近所の人たちに火事場泥棒されて家財道具がごっそりとなくなったことなどあり、遠縁 を含む地元の人たちを基本的に信用していなかったようだ。
昔はうちにも日本刀があったんだがなあ。と溜息まじりに話すのを何度か聞いたことがある。
そういう経験があったからなのか、昔のことを語るのは気が進まなかったのかもしれない。
しかし、まともにコミュニケーションをしていない外孫である私の趣味趣向がなぜか祖父と似ている。顔は似ていないけれど。
今になって世の中のことにいろいろ興味を持ち始めてきて、改めて年長者とは話すものだと気づいてはみたもののかなり手遅れだ。
高齢化が加速する日本にあっても、だ。
しかしインターネットの存在が高齢者とのコミュニケーションを奪っているという話題だが、高齢者だって昔のように縁側で暇そうにぼんやりしてばか りいるわけではない。
若年層の労働力が相対的に少なくなるこれからの時代、高齢者は社会においては現役としてますます存在感を示すはずだ。
直接の思い出話はないかもしれないが、彼ら(われわれ)も同じようにネットでのコミュニケーションを豊富な記憶を展開する場として活用するのは間 違いない。
もう楽隠居なんてのは昔の話だ。
グローバリゼーションにおける世界のそれではなく、世代間のフラット化が進む世界。
知識量が多い世代により以前よりもっと情報量も増えていくはずである。
問題があるとすれば、ネットの世界は記憶の世界で起こるデフォルメが許されない世界であるということだ。
人の記憶はある程度いい加減にできているから、記憶の断片が意識によって変更されることがある。
それがなぜ起こるのか、記憶力が不十分なのか記憶しやすいからなのかは私は知らないけれども、過去のたとえば忌まわしい記憶などは常に未来永劫鮮 烈であれば気持ちの上での整理ができない。
これを部分的にデフォルメすることによってあなたの精神の均衡を保つこともできるわけだ。
しかし今は違う。
膨大な情報があなたの記憶を訂正するばかりでなく精神上の負担をも重くする事態を招くことになるかもしれない。
自分に言っておこう。これからはその覚悟は必要だぞと。