なぜコンゴを血で染める戦争は続くのか?:知られざるハイテク産業の裏の顔
http://wired.jp/2013/02/22/smartphobe-war/ @wired_jpさんから
コルタンという物質は電子部品のコンデンサなどに使われる物質で、
埋蔵量の80%がコンゴ共和国にあるといわれているらしいが実態は明らかでないのが現実だ。
このハイテク産業隆盛の時代ともなると、こうした鉱物資源に対して世界中から注目されるのは当然のこと。
先進国の需要に応えるため採掘事業が現地で過酷な労働条件で現地人を搾取しているということなのだ。
さらにその影響は政治不安と環境破壊をも伴っているという指摘だ。
世界中が先進国のマーケットと化している現代ではこのような状況が各地でみられる。
これはアフリカの飢餓地域を視察してきた人から聞いた話。
アフリカのコーヒー農園では、元々キャッサバなどの農産物を村民が協力して栽培し漸く村の家族全員が食いつなぐだけの収穫を得ていたところに、 コーヒーという商品作物を栽培するために各国の商社がこのキャッサバの農地を買収して地元民を畑で労働させている。
彼らはもちろんコーヒーを消費する立場ではなく、身を削って働くだけだ。
しかも、その労働条件は決して有利なものでなく、もともと労働力であったはずの女子供や年寄はこうした農場では雇われない。
従って彼らは生活に必要な稼ぎを得ることもできず、村は次々に離散したり飢餓状態に陥り破壊されていくという不幸の連鎖がある。
飢餓といえば、報道写真などでやせ細った幼児の写真などを見たことがあると思うが、まさしくあれだ。
息抜きに飲むコーヒーに一杯のために多くの犠牲者を出していることを我々は知らなければならない。
今、たとえばバイオ燃料などのために他の商品作物でも似たようなことが起こりつつあることも事実。
これはグローバリゼーション繁栄が光の部分とすれば、その影の部分なのだ。
コーヒーなど農産物は購入しないという選択をすることにより商業価値を否定するしかない。
けれども、鉱物資源にはもっと有効な手立てがある。
リサイクルである。
そもそも鉱物資源は埋蔵量という限界がある。これを超えては供給できない。
製品を回収し分解したのち再生させて製品化することにより、こうした新規採掘の需要は減少させることが可能なはずだ。
クライアントたる先進国は無責任な貴族階級ではない。
ただ大量消費をするだけでなく、こうした環境破壊に歯止めをかける責任がある。
リサイクルを常態として行うよう世界規模で環境整備していくことで確実に状況は変わる。
例えば、もともと資源のない日本の長年の資源リサイクルへの取り組みがこうした取り組みを牽引することもできるだろう。
わずかでも資源で日銭を稼いでいた産業を傾かせては却って貧困を増大させるのでは?という意見もあるかもしれない。
しかし資源産業に頼る国家はいずれ資源の枯渇によって行き詰まることになる。
しかも環境を破壊してしまったあとでは農業に戻ることも容易にできない。
目の前のキャッシュは魅力的だが、それでは国は立ち行かない。
長期的視野でみて、先進国の需要に合わせて疲弊するだけの産業に深入りすべきでなく、今後の10年20年を背負っていける人材育成を含めた産業振興の下地作りが急務なのではないだろうか。
先進国側も人の貧困を足蹴にすることより互いに共生できるよう支援するよう考えを改めたいものだ。
我々は人の不幸の上に快適な生活を築いている。
それがこれまでの”豊かさ”の定義だったのだ。
でも、そろそろ頭を切り替える時が迫っている。