尖閣の国有化を機に、日中間の緊張が高まっている。
胡主席はAPECの席で野田首相に国有化の件に断固反対の意を示したが、タイミング悪くもその次の日に国有化ということになった。
そもそも私有地であった島を国有ということにしてこれからも継続的に対話的解決のための布石を打ったに過ぎないのだが、いつものように説明不足なのか大騒ぎになってしまった。
面目を潰されたとばかり、反日デモをあちこちで展開、諸島付近に大船団で漁船を向かわせるとアナウンスしてみたりと圧力をかけまくる。
由々しき事態だ。
現実どうかというと、景気の後退やら格差社会の不満やらで抑圧されたエネルギーが反日に向けられているといわれる。
政府に雇われている人もいるらしいけど、こうした煽動に乗る人々は社会の中でいえば圧倒的多数の平均以下の人たちと考えてよいだろう。
国家の情報統制下にあり自由に外部の情報に接触できない人々はこうした政府主導の煽りに対して格好の標的となるだろう。
かつて文化大革命の時代に年端もいかない若年層を簡単に洗脳して紅衛兵として大暴れせたその手法と大きくは違わない。
一方、国外に居住し自由に情報に接している立場の中国人はこうした考え方を共有していないようだ。
全体の割合としては少ないだろうけれど、そうした冷静な視点が存在する限りまだ最終的な段階には至らないだろうと考えている。
ここに一つの可能性を感じる。
ネットの世界でも右翼だ左翼だとイデオロギーに関しては現実世界と類似した議論が盛り上がったりするが、そもそもこの世界は国境もなく政治もなく民族もない。
政治的に対立が深刻になった国家間でも、一人一人の国民レベルでいうとまた違った意見がある。必ずしも敵対意見だけではない。むしろ政府の姿勢と一致する人は少数派かもしれない。
これまで、こうした意見を誰もきくことはできなかったし、第三者にとっては報道で流れる情勢が全てだった。そこには個人の感情や判断の入る隙間はなかった。
ネットの存在はこうしたものとは別の情報の流れを作ることが可能だ。
主体は基本的に個人個人である。従って政府主導の報道とは全く別の視点での人と人との繋がりが確立できるわけだ。
そこには立場の違う人どうしのリアルな交流がある。
敵対を煽る国同士で互いに国民のレベルでそれぞれ同じように家族との日々の暮らしを大事にする生の人の姿が見えれば、あなたはそれでも相手を攻撃しようと思うだろうか。
だからこそ、旧来の独裁体制を維持したい国家はこうしたネット上の動きに注意している。実際にこれがきっかけで体制が倒れた例もあるのだから、当然といえば当然だ。
世界のネット人口はとうに20億を超え、それを支えるインフラやサービスを含めさらに急増している状況だ。
こうした現実でネットへの人の流れが事実上規制できないわけだから、いたちごっこの情報隠蔽や改竄などは対策としては限界があるのは明らかだ。
個人個人の結びつきを基礎とした民意の集約に政治的価値を見出しうまく活用することのできる体制がいずれは主流になる日が来るだろう。
それが真の平和なのかどうか、それはその時になってみないと誰にもわからない。しかし、民主主義あるいは国家という概念そのものの進歩がそこにあるのは確かだと感じる。
ITは未来を映す鏡だ。
その時が来るまでは、ITに関わる我々にはこの鏡が曇らないよう磨きつづける使命があるのではないか。
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace(John Lennon)