- 01:50 たまに読みたくなる本のひとつにS・キングの「骸骨乗組員」がある。いわゆる短編集なのだけれど、もはや短編といえない規模の「霧」という作品が収録されており、この物語の恐ろしくもどこか悲喜劇な味わいに触れてみたい妙な感覚が湧いてくる。 »»
- 01:55 あ る日突然町中が霧に覆われるが、この霧の中には何か恐ろしいものがいる。危険を避けるためにスーパーに立てこもる人たち。建物の外でおきている非現実と相 反して相変わらずの人間臭いドラマを繰り広げる登場人物たちが面白い。これも一歩外へ出れば死という環境において光る心理描写だ。 »»
- 02:01 最 後、どこまでも白く限りない大地をどこへともなく逃避する登場人物たちが目にすると思われる光景、私はそれをもちろん見たことはないがすべての終わりなの かすべての始まりなのか、とにかく暗示的な印象を残しつつ物語は終わり、我々は依然として白い大地に放り出されたままになる。そんな作品だ。 »»
- 02:05 それにしても、ある日世界が突然変貌してしまったという話、アメリカ人の得意な発想パターンなのかな。一連のゾンビものもいつもそうだ。一種の終末観の具現した形なのかもしれない。気がつくとどこもかしこも鬼だらけという話は日本にはないのだ。
このツィートを読み返して思った。
我々の日常はある日を境に一変してしまった。
でも、それでも人生は続く。
どうせなら未来を見据えてしっかりと歩みたいものだ。
問題は未来に向けて何が大事なのか、答えがそれぞれに違うということ。
私は子供たちの世代に何を残してあげられるか、ということがキーワードになるけれど。